あきらのあきらめないブログ

普段は歴史ブログを書いていますが、それ以外の思いを綴ります

アンドロイド化する私たち人間 アンドロイドは電子羊の夢を見るのか?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

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こんにちは。たなかあきらです。今回は、映画「ブレードランナー」の原作である、「アンドロイドは電子羊の夢を見るか?」を読んで、思ったことを書きました。
 

アンドロイドは作られる?

そのアンドロイドの脳は、2兆個の構成要素と、1000万通りの神経回路で出来ているという。これは数百億と言われる、人間の脳細胞より多い数だ。未来に、人間と区別がつかないほどのアンドロイドは実現するのだろうか。アンドロイドが人間を超える日は来るのだろうか
 
子供の頃、未来都市の想像図をよく目にした。目に見えない空中道路を、渋滞なく飛び交うホバリングカー、人々は宇宙服のように体にぴったりの高機能スーツを着ている。
ビルは細長くそびえ立ち、火星や月に向かうためのロケットが飛び、アンドロイドたちの姿も見られる。
 
こんな世界がいずれは来るだろう。多くの人は未来をそう思い描いた。
 
 
と同時に、アンドロイドと人間との戦争が未来に起こるんじゃないか、と心配する考えも起こってきた。高度な技術で進化したアンドロイドが意思を持ち、身勝手な人間に戦いを挑んでくるのである。そんな映画もいくつか作られた。ターミネーターなどが有名である。
 
 
本の中では、1990年代には人間と殆ど区別がつかないほどの、高性能なアンドロイドが作られている世界が描かれている。
描かれているアンドロイドの脳は、2兆個の構成要素と、1000万通りの神経回路で出来ているという。すさまじい高性能だ。
 
その大量生産されるネクサス6型のアンドロイドは、外見や思考回路、行動まで、驚くほど人間とそっくりに出来ており、通常の人では人間と区別がつかない。
 
唯一の違いが、アンドロイドは感情移入を持たない、という点である。この点も、熟練者が特殊な装置を用いてテストをしないと、アンドロイドと見極めが難しいほどだ。
 
 
こんなアンドロイドがどんどん生産されていくと、やがては人間が乗っ取られてしまうんじゃないか、と不安になってしまう。
感情移入しない、人の気持ちを推し量ることができないアンドロイドの世界がくるのだろうか?

アンドロイド化する人間

 
ふと、自分の日常生活を眺めてみた。アンドロイドではないが、電子機器やロボットが日常にあふれている。洗濯機、掃除機、テレビなど様々な家電、自動車、電車、、、、
ボタン一つ押せば、人間は何も考えなくてもプログラム化された、ロボットが様々な制御をして動いている。
更には、携帯、スマホ、ノートパソコンなどの通信機器は、私たちの生活に欠かすことができないものになっており、何をするにも何を考えるにも、通信機器を手放すことがなく、依存症になっている人も多い。
 
ある意味、私たちが動いたり考えたり生活するプロセスの多くの部分にロボットが入り込りこみ、本来人間がやっていたことをロボットに置き換わっている、と言えるかもしれない。
 
アンドロイドにはない、人間の特徴である感情移入についても、直接的に話せば感情移入は十分できるのに、ラインやメッセンジャー、メールを駆使して、電子的な文字データで会話を済ませてしまっている。これでは、アンドロイドと同じではないだろうか。
 
将来、人間は考えたり感情表現したりする部分が退化して失われていかないだろうか。
いわば、私たち人間がアンドロイド化していないだろうか?
 
 
技術が飛躍的に革新し、私たちの脳の仕組みも解明され、人工的に人間の脳が再現できる日も遠くないのかもしれない。
もしそうなったら、アンドロイドの脳に感情移入のプログラムを入れて学習させていけば、人間以上に感情表現豊かで人の気持ちが分かるアンドロイドが誕生しないだろうか。(人の気持ちでなく、アンドロイドの気持ちかもしれない)
 
 
人間は機械に囲まれてますますアンドロイド化して夢を見なくなり、アンドロイドは電子羊の夢、いや本当の羊の夢を見るようになるのではないだろうか。
 
 
人の気持ちを分かり、自分の気持ちを表現できる人間になりたい。もっと本来の人間らしく生きねば、人間らしさを育て子孫に受け渡していかなければ。
 
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

最後まで読んでくださり有難うございました。